風さそふ花よりも猶我はまた 春の名残をいかにとかせん
by浅野内匠頭長矩・・・。
私は短歌が比較的好きである。31音での表現は実に巧で、覚えたての頃は正直何を言っているのかサッパリ分からなかったが、前職を通じて多少の知識を相容れる運びとなった。
中学時代、先に好きになったのは俳句であるが、前職での学びを通じ、
「想像以上の俳句の難しさ」
「まだ短歌のほうが私にはギリ理解できる」
の2点を痛感。
俳句が嫌い、とかではなく現状の私には「俳句を理解できる力量が欠落している」と言うのが正しい。
これは、あれだ。
音楽的に言うとジャズやクラシックの理解力に乏しい、と言うことと同義になると思っている。
とにかく、短歌を学習していく中で冒頭の辞世の句。
反語表現が実は異なる、とか本当は詠まれてはいないのかも、なんて言う逸話は一旦置いておいて、短歌を3つ挙げることにより
「忠臣蔵を端的に説明することが可能」
と言うことを言いたい訳である。
現時点で他の二首を挙げておくと
・年の瀬や水の流れと人の身はあした待たるるその宝船(宝井其角、大高源吾)
・あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし「「あら楽し」は、「あら楽や」とも」(大石内蔵助)
特に大石内蔵助の方も「本人が詠んだ歌ではない」説含め、諸説あるがそれも置いておいて。
それに関係なく、またはそこから派生する場合もあるが、忠臣蔵は人形浄瑠璃・歌舞伎の演目で分類してもなかなかの話数である。
年末恒例のドラマを見ても、「ここは絶対に必要だから毎回被る場面」もあればそうでもない部分もあるから面白い。
ここでもう一度言おう。
冒頭の辞世の句。
これは吉良上野介を討ち損ねた浅野内匠頭が、介錯される前に詠んだ歌と伝えられることが多い。ただそんなことはどうでも良い。
これが「物語の始まりを決定付ける歌」と言うことに意義があるのではないか。
簡単に説明するとこの歌は・・・・・・
クッソが(マジで吉良の野郎!!!)ッッッッ!!!
と言うことよ・・・。
この日・・・晩飯を食べ(討ち)損ねた私は時計を見ればすでに23時過ぎ・・・。
寝る(討ち入り)前に、小腹に軽い補給が必要だと思った、と言う訳だ・・・。
軽さを求めて足が進んだ方向は秋田、飲み屋街のオアシスでお馴染み紀文。
周囲の客の殆どが以前紹介した「千秋麺」と言うラーメン、もしくはカツとじで一杯飲っている中、私は潔くたぬきそば。
このアバウトな天かすとネギの乱舞・・・コレが全てだ!!!
ぬぬぬぅ・・・・・・これが秋田市の・・・オアシス・・・・・・
P...O...W...E...R...ッッッッ!!!
ザッツ蕎麦であり、出汁を基調とした醤油とのコラボレーションは、食べる者を風情の世界へ導く例のあの味・・・。
すでに天かすの旨味油分とネギの香りが実にいい仕事をしているではないか・・・。
ここで登場するは・・・
このタイミングで出番です、出汁焼酎。ツユの出汁で使用された鰹節の削りと昆布の欠片に、温めた焼酎を打ち込んだ極めて・・・
泥酔確定
の焼酎・・・。
蕎麦をつまみに、そして追加注文した、この逆価格破壊がおきているメンマを後生大事に食べながら、ゆっくり飲むしかあるまい・・・。二杯以上は完全に致死量です!!!
バシッと締められている蕎麦の腰は申し分なし。
若干の咬合力を必要とはするが、咀嚼の途中でいつもの蕎麦の香りを楽しむことが出来る。
この鼻から抜ける香りこそが・・・蕎麦を食べることの醍醐味と言って良いのかもしれない・・・。
もう一度言おう。
今店内で蕎麦を注文し、食べているのは・・・認識する限り俺1人だ!!!
この、完全に湿気ったモノも含まれる天かす・・・ネギと共に全撹拌。
ツユを吸うだけ吸わせて一気に書き込むのが、冷やしたぬきの正しい食べ方の一つのような気がする。
よって(酔って)多分に漏れず・・・この食べ方を律儀に踏襲したのであった・・・・。
ごちそうさまでした。
鰹・他の出汁が主張しすぎず、当然醤油も主張しすぎず、実にバランスの良い蕎麦は酒のアテにも主食としても、満足のいく一杯。
周囲の呑兵衛軍団は、千秋麺を食い終えたのち、再度カツとじを注文したり、カツカレー米抜きを注文したり・・・
とにかくカツが食いたい輩
が充満しているのも、この店の魅力であると言えよう。
まぁ・・・そう言う連中の大半はすでに・・・
この店に来ている記憶すら怪しいがなッッッッ!!!
次回、簡易版忠臣蔵第二の歌の主観説明!!!
hyakuman_amaneさん!!!
すいません、タイミングがズレました!!!
詳細はまた次回の記事にまとめますが、ブクマコメントありがとうございます!!!
Pちゃんさん!!!
味玉も最高ですし、何よりです麺の吸スープ力・・・・・・!!!!
ラーメンは塩分と炭水化物量に気をつければ適宜食べて大丈夫かと!!!