多様性・・・
多様性を受け入れる⋯⋯。
近年「多用」されているこの言葉。
実に使い勝手の良い言葉らしく、最早この言葉を使用すると「何でも有り」感も否めない。
YouTubeなんかで、自分を売り込もうとする番組を頻繁に見かけるようになったが、その中で志願する、売り込む側の見た目や振る舞いに少なからず難が合ったとする。
そうした際に審判する側がその点に関して指摘すると
「多様性を認めてください」
なんて返す。
また良く似通っている、もっと具体的なケースで、校則違反の風貌で学校に来る生徒を咎めるとその生徒が
「多様性を認めろ」
なんて返す。
このように「多様性」と言う言葉を盾にして「何をしても良い」と思っている「輩集団」が増えてきているように思うのは私だけであろうか。
多様性は元来「人々が「生まれ持った」様々な違いを認め、尊重する」と言う意味であり、「後天的」なものや自らの意志の部分は無関係ではなかろうか?
その点を深く理解する必要があり、自分勝手なエゴや主張を比較的容易に貫き通す可能性を高めるツールとしての言葉ではないことをここで強調したい、と強く思う次第だ。
だから私は「間違った多様性を主張する連中」に問いたい。
「それであれば⋯⋯
あなたの仰る多様性を認めないことも「多様性の考えの一つ」ではありませんか?」
これも間違った使い方だが、そもそも相手が間違っているのだからこうなれば関係ない。
ビシッと襟を正して日々の生活をするためにビリっと気合いの入った一杯を食べようと思った、と言う訳だ・・・・・・。
前回は背脂フルだったが今回は背脂少なめ。
ここの調節をして自分の求める一杯を模索するのもオクトでの楽しみと言える。
限定を無視して麻辣ばっかり食べている私はそれこそ麻辣中毒者。
しかし・・・その魅力がこの一杯にはあると断言したい。
ぬぬぬぬぬぅぅ・・・・・・最高の・・・
SHI...BI...RE...です・・・ッッッッ!!!
何が最高かと問われればそれは痺れ、辛さ、旨味のバランスで、その卓越した拮抗度合いが実に巧みである。
細かいお願いも快く受け入れてくれるのでとても・・・とてもありがたいです!!!
ブリンブリンの麺がそのスープを感じさせつつ、しかし麺本来の旨味を損なわせない。
って言うかこの麺はやっぱり美味いなぁ⋯。
もやしとの歯応えの饗宴も相まってとても楽しいが、大量に啜ると当然のようにむせるので注意しよう。
ゴロゴロチャーシューと野菜をしっかりと撹拌し、あとはひたすら啜る、食べる。
次第に背脂が乳化していきスープに甘みが加わる。そのちょっと前のタイミングで対岸に酢を適量入れ、後半は自分好みの最高のスープに。
そして最後は残った具のサルベージに勤しむ、これが最高なんですよ⋯。
ごちそうさまでした。
麻辣の魅力に取り憑かれている私だが、かなり限定に後ろ髪を引かれている部分もある。
オクトの限定もとても魅力的で、かなりの覚悟がなければ券売機の前で固まってしまうので、ご来店の際は事前準備が非常に重要。
まぁ・・・・・・何を食べてもとても美味しいので大丈夫でしょう!!!
私はあまり気にしないが、そもそもそれを受け入れることが難しい人間も存在する訳で。
そう言う人間に多様性を「押し付ける」行為は如何なものか。
それはそれ、であり、ややこしいのは「多様性を押し付けるような連中」は全員が自分を受け入れてくれると言う訳の分からない思考を持っている可能性がある。
そんな輩を比較的目にするから、私もこんな文章を書いてしまう訳で⋯。
頼むから・・・
もうちょい勉強して下さい!!!
マジで頼むぜ⋯⋯。