改めまして・・・
今回は「古典必要論」・・・。
①風情を感じることができるように
これが私の1つ目の理由である。
ここで若い頃の日本人の大半、具体的には学生への理解を諦めさせるのが「風情」と言う言葉の意味だろう。
風情→風流→雅・・・と辞書で調べても、検索しても、おそらくこのループを辿るのが関の山。
ここで、最適解ではないにしろ、私なりの「解釈」をお伝えすると
あるタイミングで五感から入った情報を「日本人的に」理解・感じること
が風情であると思っている。
例えば季節。四季が「平均的な長さで均等」に訪れる日本(最近は違うかも)。
その変わり目を葉の色や、その香り、青々とした力強い手触り、散る様の音。
その季節が来ることを、その全盛を、そしてその季節が終わり次の季節が来ることを感じられる時点で「少なからず風情はある」と言えるのではないだろうか。
そして、その感じ方が敏感な人を、それを言語化することが上手な人を、風情のある人と言うのではなかろうか。
二十四節気よろしく、そのような方々は知識として学習した結果、そこに敏感になっている訳で、そして現代日本では「自然あふれる地域」に出向かなければ体感することが難しい。
もっと具体的に言えば、現在街に出れば大概売ってない野菜や魚はないが
それぞれの旬
を正確に知っているのだろうか?
もちろん種類によって時期は異なるが、その時に味覚を研ぎ澄ませておきたい、と私は思う。
清少納言の傑作「枕草子」が伝えたいことはそういうことだと思うんです!!!
しかも先にも述べた通り、建築物が増加し、気軽に自然と触れ合うためには「それなりのところに赴かないといけない」時代の人間にとって、古典の授業でそういう点を伝えられることはとても大事なことなのではないか。
面白くもなく、そして強制的に暗記させられた枕草子。
しかしある春先での旅でのこと。
宿泊先で早起きして温泉に行く途中、寝ぼけ眼ながらも外の景色にふと目をやる。
そうすると、次第に明るくなり、景色の輪郭が見え始めると、山々に、確かにたなびくような雲が見え、なにか荘厳な気分になる。
ここで思う。
「このことかッッッッ!!!」
と。
古典の内容は現代語訳を読んでも、最初は何を言っているかわからないことが多い。
当時の私は当然のことながら「春なんて、お祝いにもらったお金でゲームソフトを購入し、春休みに全力で遊ぶのが良い」としか思っていない。
大事なことは「それが分かる瞬間が来たときに感動が増幅すること」だと思う。そして、その感覚を誰かと共有したい、と思うかもしれない(私は部屋にMを起こしに行った)。
ただ、大丈夫、安心して。
その時点で感覚の共有者はなんと「あの「清少納言」」な訳だから。
その旬、ピークとも言い換えられるが
・それまでを楽しみに待ち
・旬を全力で楽しみ
・その終わりを名残惜しむ
このような感覚は人間誰しも持っているだろう。日本の四季の性質上、日本人はそれを感じやすい環境にいるのだから。
この感覚を鍛えないことがもったいない。
季節の変わり目だけでなく、もっと単位を細かくして生物・植物なんかに目を向けて、小さいことながらも楽しんでいくことができる。
これが1つ目の意見です。
そして・・・・・・やべぇ・・・・・・
もう2つ理由がある・・・ッッッッ!!!
熱い思い→ただの暑苦しい面倒な奴、と化した私は、それならばジャパニーズ至高の調味料味のラーメンを食べて気持ちを沈静化させようと思った、と言う訳だ・・・。
久々、実に久々のノーマル味噌である。
昨年味噌が変更され、より深い甘さへと到達したこのスープはそれだけにとどまらずにゴマの香ばしさとレモンの清々しさを兼ね備えている。
では・・・頂きます!!!
ぬぬぬぬぬぅぅ・・・・・・これぞ最高の・・・
A…MA…ME…よ・・・ッッッッ!!!
いやぁ・・・・・・しみじみ美味い・・・。
人によっては甘すぎると言う意見があるかもしれないが、しっかり複雑な味の中での甘めは個人的には最高。
ただの味噌味になっていないことが素晴らしく、この濃厚さは他の追随を許さないのである。
パッツン。
ポリポリパッツンの細麺はそれだけでも楽しいが、やはり濃厚なスープでひときわ輝くように感じられる。
事実、私のこの店のこの麺のベストは担々麺とブラックなのだから。
ごちそうさまでした。
強力な一杯は私の胃と満足度を大いに満たし、あわや食べ切れるか?と言う心情にまでさせてくれる。
絶対に「通常のラーメン屋よりも量が多い」と思いますのでフラッと行かれる方は油断なさらぬよう十分ご注意をして頂きたい。
漢文でも例えば
1、桜が咲き始めてきたな、楽しみだな。うちの桜は見事だから毎年のように客人がたくさん来てくれて、今年も毎日のように楽しい宴になるぞ。
2、毎日が大盛りあがりで、だいたい明日か明後日が満開だ、今年一番の宴になるぞ。
3、・・・散り始めてきた・・・・・・。さっきまで庭にはあんなに客人たちがいたのに・・・。舞う花びらに呼応するかのように・・・客人たちが帰っていく・・・。
なんてのもあるんですよね。
授業、と言う形で伝える際に、教員の何人かは「比喩表現の伝達」ととらえるであろう(教科書がそうなっていたらそう進めるしかない可能性あり)。
そして当然返り点の復習や句法の伝達をするであろう。
だから「ある程度の年齢の大人」に「古典は不要」なんて言われるんじゃないのか!!!
それくらい、いや、それ以上に大切なことが伝えられる可能性はないのか!!!
次回で②③で終わらせたいが⋯⋯また・・・長引くのか⋯⋯?
天機さん!!!
何と言う名言をッッッッ!!!
合理的な考え方、行動は私も嫌いではなくむしろ好きな部類ですが、それは感受性があって初めて生きるものかとも思います。
土台、基礎があった上に成り立つようにしなければ本末転倒だと思うんです!!!
だるころ先生!!!
その「コテン」は時間潰しには最高のアクション・・・・・・!!!
私は落書きばっかりしてました(烏帽子を無駄に伸ばしたり)。
担々麺は当たり外れもありますがここのは最高です!!!